ゆきRのコネチカット日記
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Sunday, August 17th., 2003
*メリケン出産事情*

 前回妊娠期間の時の事を書いたので出産の事も書いてみようかと思う。

 前にも書いたが、私は3回出産の経験があるのだが、全て違った方法であった。長男・帝王切開、長女・無痛分娩、そして次男・自然分娩。私の歳と反比例して大変な方法をとったのだなあ、と今になって思う。(^^ゞ)

 長男・95年10月・横須賀アメリカ海軍病院。予定日より2日過ぎた夜11時。寝ようと思ってベッドに横たわろうとした途端、破水した。「おお〜、これが破水か〜?」などと考えながら(笑)その時手伝いに来ていた父親を起こし、(ダンナは6ヶ月の航海に出ていてあと1ヶ月は帰って来なかったので)出産に付き合ってくれる友達のダフニーのポケベルを鳴らした。そしてタクシーを呼んで荷物を持って病院に行った。

 破水したものの、陣痛はまだ来ていなくて、病院の廊下を歩くようにと言われ、うろうろと暗い廊下を夜空を見ながら何度も同じ所を往復していた。1時間ぐらいして、何とか陣痛は始まったものの、子宮口があまり開いていないというので、促進剤を点滴した。2〜3時間経ったのだろうか、看護婦さんがチェックに来たが子宮口はほんの1cm広がっただけであった。この頃になるとかなり痛みがひどくなって、どんな体勢になっても苦しくて息が出来なかった。

 出産間際には普通子供は動かなくなると言うことだが、お腹の中の子供はまだ活発に動き回っていた。子供の心音を採るモニターをお腹に巻いて付けているのだが、子供がちょくちょく動くので、ちゃんとモニター出来ず、赤ん坊の頭に直接コイル状の針を刺して心音を採る事になった。痛そうだよなあ。。。頭なんかに針刺して大丈夫なのだろうか、と不安な気持ちもあった。が、心音は確実に採れるようになった。

 痛みが激しくて、脊髄麻酔をする事になった。30cmはあるような長い針を脊髄に刺すのである。怖そうだなあ、と思っていたが、針をさして直ぐに嘘の様に痛みが無くなり、楽になった。もっと早くやってくれればいいのに!と思った。(爆)

 それからも状況はあまり変わらず、先生が「破水してから20時間以上経っているので、赤ん坊も弱ってくるし、赤ん坊の肩幅が広いので、子宮口が完全に開いたとしても出てくるのは困難なので、帝王切開にしましょう。」と言い、帝王切開の準備を始めた。おいおい、肩幅が広いって分かってたならなんでもっと早く帝王切開にしなかったんだ!と腹立たしかったが、なんでもいいから早くしてくれ〜!と思った。(笑)

 隣の部屋の私の後から来た人に先に子供が生まれていた。なのでそちらが終わるまでまだ私は待つようであった。(><)もう一度脊髄麻酔をして手術室に入った。一人だけ一緒に入っていいと言う事で、母が入る事になった。他の皆は窓の外から中を見ていた。麻酔は腰から下だけに効いていたので、意識はある。痛みは無いが、切っているとか何をしているのかは分かった。

 そして破水してから23時間後、感動の始めての赤ちゃん誕生!なのであるが、私は律儀にもコンタクトをはずしていたので、ド近の私には何も見えず、赤ん坊の顔も直ぐ目の前に持ってきてもらってやっと見えた。で、「うわ〜、くしゃくしゃ、サルみたいだ。。。」ってのが初めての感想でした。(^^;;;・すまん、息子よ!) そして、母がへその緒を切った。9lbs.1oz.(4128g)、声もでかかった。

 しかし、よく泣く子供で、私を休める為に看護婦さんが連れて行ってくれていたのだが、(生まれて直ぐに親と一緒の部屋で過ごす)なんと7時間も泣き続けていたそうだ。ミルクを飲む様になって少し丸くなってきた息子はサルからパタリロになっていた。(え?知らない?^^ゞ)

 術後8時間ぐらい経って、看護婦さんが「歩けるようなら歩きなさい」と言うので、まだ袋を下げたままチューブを持って歩いてみた。後は腹筋(?)の回復の為にと渡された、息を吹き入れてプラスチックのケースの中の玉を浮かせるという運動をした。順調だったので、3日後にお腹のホチキスの針(!)を抜いて退院した。

 長女・98年4月・サンディエゴ海軍病院。予定日を10日も過ぎたのに、出てくる気配も無かった。予定日を過ぎると病院で3日おきにストレステストをする。この日もストレステストを受けるのに、家から車で30分の病院に、この時来ていた両親と妹と息子を連れて出かけた。病院の近くに大きな公園があるので、そこで皆を下ろし、私だけ病院に行った。ダンナはこの日は部署のピクニックで車で15分の基地に居た。

 ストレステストを受けて、先生が入って来た。グラフを見て、先生が「子供には異常は無いが、羊水が減っているので今日産みましょう。このまま入院できますか?」と言うので、「親と妹と子供を近くの公園で待たせているので呼んで来ないと。」と言って迎えに行った。看護婦さんがダンナを呼び出ししようと職場に電話したが見つからない、と言うので、ダンナも探しに基地に行った。

 基地内のグラウンドでバーベキューなどを食べながら、野球をしていたダンナを見つけ、「今から産むから来て!」と車から叫び(爆)ダンナも拾って病院に戻った。午後4時。そして促進剤を点滴した。まだ時間は十分にあると言うので、ダンナが皆を家に連れて帰り、荷物を持って戻って来た。夜7時頃だったが、お腹が空いたと言って、病院の中のマクドナルドに買いに行った。そういえば、私も朝からバタバタしていて何も食べていない事に気付き、看護婦さんに言ったら、「あら、何も食べてないの?本当はもう食べちゃいけないんだけど、何か持ってきてあげるわ」と言って、サンドイッチとジュースとバナナを持ってきてくれた。

 ダンナがやっと戻って来た。マックの他にポテトチップスや雑誌なども買って来た。そして私の隣にいすを持って来て雑誌を読み始めた。私はというと、もうかなり陣痛が始まっていたので苦しかったのだが、なるべく声に出さないようにしていた。(こっちの人たちはかなり叫んだりします)ダンナが何か面白い記事を見つけたらしく、「ここに面白い事書いてあるけど、読むか?」と雑誌を差し出すので、「今は痛くてそんな事出来ない!」と腹立たしく言ったら、「ああそうか。」と言ってまた読み始めた。ーー;すると、部屋の電話が鳴った。近所の奥さんが電話してきたのだが、(本来は電話して来てはいけない事になっている)ダンナはしばらく話をすると、受話器を私に差し出して「ローラだけど、話するか?」と言う。。。あのね、私は陣痛で苦しんでるんだけど。。。ったく。

 今回も無痛分娩にしてもらう事にしたので、麻酔士が来て脊髄麻酔の準備をした。背中を消毒しながら、麻酔士が「なんだ、もうずいぶん苦しんでたんだね?もっと早く言ってくれれば良かったのに。」私は「ハハハハ。」と笑いながらも、心の中で「もっと言ってやってくれ!」と思った。(爆)麻酔士がダンナに私を支えるように言い、ダンナは私の肩を押さえ、肩越しに長い針が入って行くのを見ていた。突然ド〜ンとものすごい音がしてダンナが床に倒れた。^^;;音に驚いた人々が部屋に走りこんで来て、あっという間に倍以上の人が部屋に居た。壁と床に頭を強く打ち付けたので、救急に運んだ方がいい、と言ったのだが、直ぐに気が付いたダンナは、「長男の時には立ち会えなかったのだから、絶対にこの場は離れない!」と言ってそのまま居ることになった。日頃ホラーやオカルト映画が好きなガタイのデカいダンナが気絶するとは夢にも思わなかった。^^;;

 そして長女が生まれた。7lbs.8oz.(3538g)長男にそっくりだと思った。ダンナはエラク感動していた。もう赤ん坊にべったりで、看護婦さんと話しをしながら、娘が移動する方にくっついて歩いていた。(笑)看護婦さんが私の所に赤ん坊を連れて来てくれた。抱っこした時、名前を呼んでみたくなった。2つ名前を用意していたのだが、(私が選んだAとダンナが選んだB)Aと呼ぶとなんとなく口元が上がった様に見えた。で、今度はBと呼んでみた。すると急に泣き出した。そしてまたAと呼ぶと、ピタッと泣き止んだ。またBと呼んでみたらまた泣き出した。「これはきっとBという名前が嫌いなんじゃ?」とダンナに言うと、まさかと言うので、またAと呼ぶとまた泣き止んだ。ダンナがBと呼ぶ。また泣きだした!という事で、名前はAに決まった。(笑)この一部始終はビデオに録画してあるので証拠として将来娘に見せようと思う。

 一通り処置が終わり、麻酔が消えた頃(あれ?まだ痛みは感じなかったか?)、病室を変えるというので(この日は出産ラッシュだったようだ)自分で歩いてまずトイレに行き、階が違ったので車椅子で移動した。母子とも順調で48時間後退院。余談だが、娘は2歳半まで母乳のみであった。

 次男・2001年9月・コネチカット民間病院。どうもうちの子供たちはお腹に居るのが好きな様で、次男もやっぱり予定日を4日過ぎた。1ヶ月前まで働いていたので、予定日より早くなるのじゃないか、と思っていたが、マネージャーに「ここで産まれちゃ困るから、産休を取ってくれ」と言われ、予定より1ヶ月早く産休に入ったら、落ち着いてしまった。そして、やっぱりストレステストを受けに近くのクリニックに行った(検診はクリニックで先生も当日誰に当たってもいいようにと、全員の先生に診てもらい、出産は総合病院で、当日の担当医がクリニックから来て産む)ら、「もう陣痛が始まっているから直ぐに病院に行きなさい」という事で、ダンナに電話し、一度家に帰って、また手伝いに来ていた両親に報告し、隣の家の奥さんにも連絡して何かあったら手伝ってもらえるようにお願いした。(私の両親は英語話せないし。父は英会話を習っていて、かなり上達したと言ってやって来たが、通じずに凹んでいた。^^;)彼女は救急隊員で、家で保育所もしているので、なにかと心強い。

 ダンナが戻って来たので病院に行った。個室(今までもそうだが、こちらの病院では同じ部屋で準備、出産、回復をする。)に入ってガウンに着替え、ベッドに横になった。点滴を打ってモニターを付け、(この時も結局子供が動いてコイルを頭に挿した。この子も言葉が送れているのだが、何か関係があるのだろうか???)目の前のTVを付けて、まだ余裕があった。VH1(ミュージックチャンネル)では私の好きな80年代のメタル特集をやっていたので(爆)今までより、かなり楽なような気がした。(陣痛が来てるのにガンズやメタリカもしっかり観てたし〜。^^ゞ) 前回、娘の出産に立ち会ったダンナが変わる(家事や子育てなど手伝ったくれたり)んじゃないかと期待したが、何も変わらなかったので、私があまり苦しまなかったからか?と思い、今回は無痛分娩にするのはやめた。かなり苦しかったので、看護婦さんが、筋肉の緊張を和らげる薬を点滴に混ぜてくれた。かなり楽になったが痛みはしっかり感じる。

 ジーンズの上下を着た若い男の人が入って来た。今日の担当医だと言う。が、私は見たことが無かった。クリニックでは誰に当たっても良いように全員(3人)の先生に診てもらうことになっていたが、どういう訳かこの先生には今まで当たらなかった。^^;見た目は結構カッコいい部類の人なのだが、なんだか私は好感は持てなかった。まあ、そうこうするうち、陣痛の間隔が3分になったので、ばたばたと準備に入った。力んでも痛みを感じることと、なんだか今までと感覚が違って、どう力んだものやら分からなかった。(日本では浣腸をするらしいのだが、こちらはしない)なんだかものすごい便秘をしているみたいな感覚で、こんな風に力んでいいのだろうかと不安ではあったが、3回の力みで生まれて来た。8lbs.1oz(3674g)。やっぱり働いていた為か、一番楽だった。

 案の定、ダンナは赤ん坊にべったり、看護婦さんと話込んでいた。^^;私はまだ後産をしていたのだが、先生が処理をしていたら、急にドバッと血が噴出して、先生と床に飛び散った。それに、どうも切った以上に裂けたらしく、縫合にも時間がかかり、そっちの方がかなり痛くて、ダンナにどうなっているのか見てもらおうと呼んだが、聞こえないようだった。。。やっと来ても、「大丈夫みたいだけど」と言ってさっさと戻ってしまった。・・・やっぱり私は見る目が無かったのか。。。  先生はなにやら看護婦さんたちと話をしていて、機嫌が悪そうだ。何をしたんだ???ったく。ダンナがこの先生の事を「ゼネラルホスピタル」と呼んでいたが、確かに自分はカッコいいと自覚しているのが分かる。他の先生はとっても良い感じの、親身に応じてくれる先生たちなので、私はよくよく運が無いのかなあ、などと思った。

 赤ん坊の検査や産湯を済ませると、私のベッドの隣にプラスチックの枠の付いたベッド部分の下に引き出しが付いたカートを置いて、赤ん坊を寝かせた。そして、看護婦さんが、身分証明のカードを見せ、「この色のIDを持っている人以外には子供は預けない様に」と言って出て行った。ここだけに限らず、どの病院でも、誘拐されないように、IDチェックはもちろん、トイレに行くにも(同じ部屋にある)子供を置いて行かないようにと注意を受ける。退院の時に子供と親の(ダンナも)腕輪をチェックして間違いがないか確認しないと退院できない。

 よく泣くので母乳はまだ出ないが咥えさせたり、抱っこしたりしたのだが、何度かうとうとしてしまい、抱っこしておでこ同士をくっつけた状態で寝てしまったりした。^^;よく落とさなかったものだ。^^;;;ベッドは高いし、床は固い。危ない危ない。

 8時間ぐらい経った頃、どんどん歩きなさいと言われた。トイレもこのころには自分で行っていたと思う。シャワーも浴びていいと言われた。赤ん坊も流しで洗う様にスイッチの説明を受けた。(こちらは、日本のようなベビーバスはなく、小さい、足元に少し水が溜まる様なものはあるが、結構皆台所の流しで洗っている。)

 朝食の後、私が希望した小児科から医師が来て、(生まれた時にも子供をチェックしたらしいが、私は朝になって初めて会った)チェックした後、割礼の予定を説明した。アメリカでも、割礼は希望者だけだが、宗教の関係とか、父親がそうだから子供も、という人が多い様だ。手術の前に、“がんにかかるリスクが増える”などが書かれた同意書にサインする。赤ん坊のうちはあまり痛くないそうなので、やるのなら赤ん坊のうちの方がいいらしいが。その後ワセリンを塗ってケアをするのだが結構早く傷も癒えるようだ。

 今回も母子とも順調なので48時間で退院。退院前に医師から「2週間はなるべく無理をせず、休養をとること」「車は1週間は運転しない事」など注意を受けた。

 医療費が高いからかも知れないが、アメリカでは入院期間は短い。普通分娩で48時間、帝王切開でも3日で退院する。しかし、日本の様にもう少し病院に居られた方が母体には良いように思う。家に帰るとなかなかゆっくりとは出来ないものだし。養生しっかりしないと、歳をとってからひびく、と聞いたことがあるが、そうかもしれないと思う。人種によっても回復力とかに差があるのかもしれないとも思う。以前高校生の娘が人知れず子供を産み、ゴミ箱に捨てて、その足でダンスパーティに行っていたという事件があったが、私の周りでも、白人の人は職場復帰するのが早い様な気がする。まあ、根拠はないけどね。

 しかし子供たちの成長は早いもので、生まれたときはパタリロ(もしくはウーパールーパー^^;;)だった子供たちの面影は無い。(笑)