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■東京マリーゴールド

2001年 カラー97分
【電通 テンカラット オメガ・プロジェクト シィー・スタイル】
監督・脚本:市川準 原作:林真理子『一年ののち』
田中麗奈/小澤征悦/樹木希林/斉藤陽一郎/寺尾聡

田中麗奈=エリコは普通の女の子で、失恋の後、合コンで知り合った小澤征悦=タムラに自分から電話をし、デートに誘い出す。アメリカに留学中の彼女がいるというタムラに「1年間だけでいからつきあって」と淡々と交際が始まる。こうなると最後は「タムラはふたりの女性の間で揺れ、結果彼女と別れてエリコをとるのか?」などと想像するが、さにあらず。ものすごい形相で「ネェー別れてよォ〜」と迫るエリコにタムラは「だって1年でしょ」とあくまで超然とした淡白さ、渋谷(?)の歩道で泣きじゃくり、別れ。その後エリコは偶然バスでタムラの「彼女」に行き遇い、「2年前にアメリカで結婚した。妊娠8ケ月。」と旧友に語るのを聞く。「タムラ君とか連絡とってる?」・・・

  ●『東京マリーゴールド私的思考』 by まりりん
●『大恋愛じゃないじゃん〜〜・タムラ考』 by と
 

『東京マリーゴールド私的思考』 by まりりん

■一貫して描かれる、夕暮れ色
何回かこの作品を見返してみた。そして、ある事に気付いた。
それは、作品全体として見たとき、私にはある一色の色しか浮かんでこなかった。
その色は、「夕暮れ色」。東京という風景、その中で繰り広げられる、タムラとエリコの出逢いから別れ迄という一連のStoryが、「夕暮れ色」で塗られているのが、一つの大きな特徴のような気がする。
私は、東京という街はもっと躍動感のある街だと思う。タムラとエリコの恋愛から別れ迄の話はそのままとして、東京という風景を描くとき、もし他の色合いを持ってきて、絵が塗られたとしたら、また二人の恋愛話も違って見えていただろう。では、自分が東京を描くとき、どんな色を持ってくるだろうか?
躍動感を描くとしたら、人に情熱を与える「オレンジ」だとか、東京という街の光と影を表す色として、「シルバー」なんて色合いも使ってみたい。それだけ東京は未知に溢れる街で、一色だけでは語りつくせない、様々な人間模様が繰り広げられる街ではなかろうか?        だから私は、もっと他の色合いも使い、東京画を描いたらおもしろいかも・・などと考えるのかもしれない。

■ 印象派画家―クロード・モネ的画法?
この映画を見終わったとき、ある一人の画家が頭に浮かぶ。私が好きな画家の一人でもある印象派画家、クロード・モネ。この画家と「東京マリー」に共通する画法がある。
「Hazy Painting」−つまり、霞のかかったような、もやもやした画法のことだ。
「東京マリー」は終始一貫、もやもやした画法のベールに包まれているため、見終わった後でも、切なさが残るだけで済む。
比べるのもどうか?という部分もあるが、モネの絵画と「東京マリー」の二つの絵を見るとき、そこには明らかな違いがある。
それは、やはり前項に述べた色使いに関係してくる。モネの絵画は、モヤモヤしたなかにも、色使いが斬新で、時にハッとさせられる魔力を持っている。
「東京マリー」は、色使いが一色のため、そのハッとさせられるような、強い力、強い息吹という点で見ると、それらが少ない。
タムラ&エリコの若い二人の恋愛を、色彩豊かな東京の風景のスポンジケーキにのせたら、また新鮮な画像として、見ることができるかもしれない。

 

『大恋愛じゃないじゃん〜〜・タムラ考』  by と

<見た興奮のままに書いております。ご容赦>
監督の名前や田中麗奈という他キャストは全然知らないままふらふら店頭まで行き、本当は「豚の報い」が欲しかったがコレしかなく(でもすぐさまAmazonに発注済)、勢いのままに購入。俳優の小澤征悦(ゆきよし)氏に関心が湧いての発作的行動で、ネットで作品を検索し文字どおり直行。小澤征悦氏にはまったのはNHKの朝の連続テレビ小説。なんだか正統派主婦ファンみたいだが、まさしく「さくら」で件の俳優のジャージ姿で腹を掻く「等身大のさり気ない演技」に感心し、何を演じても等身大のキ○タクの器用さと同じ類いのものなのか、知りたくなった。
小澤征悦氏は器の大きい骨太な役者、実に生真面目に積み上げて役をつくるのであろう、何ごとにもアッケラカンと真正面から向き合う品性と、さり気なさの裏に熱心で緻密な計算が覗く。そのあたりがじっくり確認できて大変ようございました。

■大恋愛?
ダルくて集中させてもらえない辛さよ。そのまんま日常すぎてドラマな張りを探してしまう悲しさよ。やたらに次のシーンにかぶる台詞が、な〜〜んかぁ〜〜〜〜語尾を伸ばす口調を思い出させ、ダルさ増幅。現在の東京・今ドキの若者の自然体をリアルに描こうという試みかもしれないが、東京の日常がエンエン描写され、最後にポチン、とオチが付く。
なんだか監督の目線が「寄り過ぎ」に思えるのは私だけか?各シーンに、各カットに各台詞に小道具に、「寄り過ぎ」。必要性、意味付けがあるんだろうけど伝わらない、それら「一瞬」の集合体、集合の具合がどうもきまりの悪い散漫さに思えて。
最も強い違和感はきっと、キャッチコピーの「大恋愛」。だって「恋愛」なんてましてや「大恋愛」なんてどこにも感じないように、わざわざ「恋愛」の形態を撮っている。それが「カッコイイ」のかはよくわからない。

■タムラ1
約束の1年が経ち、『彼女』と別れてくれと懇願され、それでも「まるで脅迫だね」と涼しかったタムラは花束とワインを手に、エリコの元へ。『彼女』ではなく期間限定付きのはずだったエリコを選んだのか?しかしエリコは去り、「残らないもののほうがいい」と贈ったベッコウ飴が大事に残されている。なめたら消えてしまうから、と自分が渡したものに「エリコをなくした」ことを思い知らされるタムラなのである。
が・・・
ってことかい??だからマッスグ恋愛恐怖症を克服できなかったダメ男の自分に、エリコを本当になくしてしまったことに泣いてるのか??
んじゃエリコの懇願、執着に対するあの揺るぎのなさはなんなのだってば。そういう演出だったんかほんとに?エリコによって癒されたことを自覚するようなそぶりがま〜〜〜〜たっくないからな。それを最後の花束にいきなり託されてもな。遅いってば。(いや、タムラがじゃなくて、もちろんカレは遅かったのだが、演出的に)ちと単純じゃないか。

■タムラ2
自分なら最後にタムラを泣かせないなぁ。あそこであの男が泣いてはいけない。ましてや未練がましく陸橋をうろうろなんかさせてはいけない。後悔や逡巡があったとしても、それに至る『彼女の存在』の演出はあまりにも執拗。あれだけ超然としているのは、自分コミで淡々と騙し続けることをタムラ自身が敢えて選んでいるからで、それを通した結果(当然)エリコが去り、嗚咽するのにしてはあまりにも途中揺らぎも葛藤もない。思わず「そこで泣くか」とつっこみ。感情の吐露ならばせいぜい俯いて悔恨、悲しいでなく虚しい、でどうでしょう。
タムラが泣いちゃうと、タネアカシのバスのシーンは「ダメ男であるタムラのダメさを解説」するだけのものになる。――「ううん、、、彼、なんかしんどいとこあったじゃない?」と『元?彼女』はバッサリためらいなくタムラを評する――「ふたりはとっくに終わっていた」のかもしれないこのシーンだが、むしろ「ただの仲間ウチ、つきあってさえいなかった、すべては男の作った物語」と受け取る私は、じゃあこのシーンありで前段では泣かせない、がいいなあ。蒔いた種を刈り取り鬱屈を抱え続ける男、という。
タムラ像の屈折が増し、ちとアブナイ人になるが、そういう危うい状態で日常を切り抜けてるほうが現代的、東京的じゃないか。(小澤氏があまりにもただのダメ男を演じていることに同情的なだけかもしれないが)
そういえば、わざわざ私信メールをプリントアウトするか?タムラの職はIT関連だし、やっぱり自作自演でしょう・・・それはそれで余計に暗さ度アップでよろしい。(笑)

■田中麗奈じゃダメだろう
芸術家の両親、短大の後バイク便、といかにも個性的なちょっと変わった子プラス、漫然と短大出て、やりたいこととか特になくて、男とつきあってもみたいんだけど自分をさらけ出せないし本気で恋愛できないワタシ、とあくまで「普通のオンナノコ」でもある懇切丁寧な設定の主人公、田中麗奈という素材を補うためか盛り沢山なのに、一生懸命セッティングした複雑さは画面には皆無。もったりした普通の女の子にしか見えないんだから、ほんだしCFの設定のまま普通の女の子でいいじゃないか・・・
やっぱり、そこに本来陰影を加えるハズの役者=田中麗奈の底が浅すぎ。年齢が若いからではなく、大味な感性が拙い。ベッドシーン(毛布掛けてるアップだけだが)も寝てませ〜ん、という空気に満ちていて(笑)麗奈ファン大安心。恋愛してないからなぁ。『1年間だけ〜』の台詞が宙に浮くなぁ。

■広告代理店のマスターベーション(スマン)
DVDには親切にも元ネタTVCFがパッケージされているが、そっちの出来が断然良すぎて。やっぱプロだねぇ、と妙に納得。このCF、30秒、15秒という世界がとてもリアルに感じられるので、そりゃ拡げれば背後に映画の1本もあるような気がしてくる。ということで実際に97分にしたら、アラッ引き延ばして薄くなっちゃったわ、と肩透かしかもしれない。いつもみたいに(多分:想像)バシバシ切れば?と思ってしまうわけさ、要らんものをさ。
私は煮詰めたり煮返したミソ汁は嫌いだけど・・・

○しかし、こうして書いていると、何度も観たのにもかかわらず、自分の頭の中で記憶を頼りに再構築しまくるもんですな。書き終わった今、私の頭の中には違うバージョンの「東京マリー〜」が勝手に編集されているに違いない。(いかん、省略すると毛皮のマリー、みたい)