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  宵待ちビビのいろはにお江戸*覚書 →人情掲示板でのお江戸あれこれ 
★放送を見ながら、気になったことをつらつら書いていきますが、多少、前後します。 ご了承くださいね。
第3回『鯛の尾頭(おかしら)〜光畑のダンナの純情』
by ビビッドカラー

【汐留三角屋敷 竹皮問屋 八百屋方 名無しさん@権兵衛】
【締め出しを喰らっちゃう…木戸・大木戸】 【あ〜あ、勿体無い】 【飛脚の出立の歌】
【1両もらえるなら…近場も承ります!十六屋の経営方針変更の前哨?】
【締めは清太郎】  【おまけ・《
第3回》人情いろは歌留多】

今回は、まどかの告白によって、清太郎との見せ場があったけど、光畑のダンナが、おふささんに見事、一目ぼれっていう展開もよかったなぁ。。。火消しの嘉助さんも内心は気があるんだろうな。。。んもう、モテモテ原田さん…。『キレイをたもとう!』っていう教訓?!

【汐留三角屋敷 竹皮問屋 八百屋方 名無しさん@権兵衛】
だ〜いぶ前になるが、ひとしきり、うそざれんで話題にのぼった「点取り占い」。
こういうのも発見!
『三角野郎てなに?言い切られても。』ってコメント付き(笑)
点取り占いコレクション
http://www.geisya.or.jp/~kanzi777/ten/C/021to030.html

最初は「八木節」の歌詞に出てくる「はぁ〜、ちょいと出ました三角野郎がぁ〜♪」だとばかり思っていたのだが、関東方面で知られるようになったのは、明治以降という記述にでくわして…。へ〜、そうなの?…と思ったら、ちゃんと「新川古代神」というのが前段階にあり、「ちょんがれ節」とも重なっていたというので、個人的に嬉しかった。民謡の世界は伝承の世界とはいえ…またひとつ奥が深いものを見つけてしまったな。四角四面な性格ではない…という意味だというものや、語呂合わせのおかしさからきているものというのが有力。

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【締め出しを喰らっちゃう…木戸・大木戸】
まどか『この刻限だと、渡しも終わっちまったし、もうすぐ大木戸も閉まっちまいます。』
早い話が町の門限!夜歩きは慎め!各町内の境目に作られた木戸は、時間が来ると、木戸番によって締められることになっていた。
閉められる時刻:夜四つ時(午後十時ころ)から朝六つ時(午前六時ころ)の間
木戸番の監視つきで脇の潜り戸しか通れない。犯罪人の逃亡防止など治安維持が目的だった。平たくいえば、常設のバリケードである。
『自身番所』=各町の自治機関で自警団としての詰所
『木戸番屋』=町内が雇った木戸番が住み込みで詰め、木戸の開け閉めなどを行う。草鞋や駄菓子などを売って生計の足しにしてた。これを大きくしたものを大木戸といい、東海道の高輪、甲州道の四谷、中山道の板橋など、江戸の出入口にあたる街道の始点に設けられた。

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【あ〜あ、勿体無い】
竹庵先生が、まどかの衝撃の告白に、トクトクトク…とお酒をこぼしまくってた(笑)
*とっくりのかたち…江戸後期になると、現在の形のようなとっくりが登場してくる。朝鮮語の容器=トックルが徳利になったようだ
徳利が使われだしたのは天保のころからと言われるが、一般化したのは幕末ころ。それまではちろりや銚子が主に使われていた。徳利も今よく目にする口の開いたものでなく、真っ直ぐな筒状。今の居酒屋で出てくる口の開いた徳利は昭和30年頃はやりだした物だそうで、江戸時代には絶対にないもの。さて、「人情」ではどうでしょう?ビデオに録ってる人、見てみてね♪
ちなみに、それ以前は
「ちろり」…銅製の小さなヤカン型(このまま燗が出来る)。居酒屋では、熱いため、棒付きで客に出す。
「銚子」…現代では、神式の結婚式で、巫女さんが三三九度とかで使っている、あのひしゃくのような容器のこと。料理屋のように、どちらかといえば、正式な場で使う。
昔は銚子を使って直火でお燗をしていたが、湯せんでのお燗のほうが風味が良いと徳利が普及するようになり、いつの間にか混同したとあるが、いつごろから、混同して「お銚子一本」なんて言い方するようになってしまったのかは、はっきりしていない…。
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【飛脚の出立の歌】
庭中の阿須波の神に木柴さし 吾は斎はむ帰り来までに(万葉集:若麻續部諸人)
《阿須波神社》古くから旅の安全を祈る神社:千葉県市原市
http://www.city.ichihara.chiba.jp/graph/9810/michi3.html
《防人のこと》
http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/sakimori/sakimori.html
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【1両もらえるなら…近場も承ります!十六屋の経営方針変更の前哨?】
定飛脚問屋としては、台所事情の厳しい十六屋…確かにちゃっかり者のおかねさんだが、「割に合わない」御府内配達仕事は一応断ってます。 さすがに、1両には目がくらむ…さて、1両って、今のお金にするとおいくら? 《\お金の話》 江戸時代には、金貨、銀貨、銅貨の3種類の貨幣が使われていた(これを三貨制度という)。 金貨の単位は、両、分、朱。銀貨は、貫、匁、分。銭貨は貫、文。 1両 = 4分 = 16朱 =60匁= 4、000文(4貫文) (これは1700年<元禄13年>から1842年<天保13年>までの幕府公定レートなので、実際には時価相場で交換されるもののため、実情とは異なる場合あり)。

江戸260年間は、米の値段(石(こく)=金11両3分)が物価の基準だったため、その変動も激しく、あくまでも目安!

年代 一両 一分 一朱 一文
安政2年(1855)=安政の大地震の年 34224 8556 1767 3.42
安政5年 23436 5859 1459.17 2.34

(単位 円)
池田弥三郎編『江戸と上方』(至文堂、1965)による基礎データをもとに、1999年の物価に換算。

幕末の貨幣価値
http://www.kisc.meiji.ac.jp/~wonomasa/kahei.htm

たった3年で価値がどんどん下がっているのがわかる。
※ 米価から計算した金一両の価値は、江戸時代の各時期において差がみられ、おおよそ初期で10万円、中〜後期で3〜5万円、幕末頃には3〜4千円。(日本銀行金融研究所貨幣博物館のサイトより)
換算する基準が変動する米相場であること、商品価値・貨幣・労働に関する価値基準が現代とは大きく違う点などをあわせ、解釈や計算方法が歴史家によって異なることがあげられる。

http://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/feature_faq.htm#question1

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【締めは清太郎】
角度的には、見事な大上段の構え…。
さすがに、「何流」かはわかりません…(^^ゞ。

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引用した資料
江戸東京博物館展示資料・江東区深川江戸資料館展示資料・日本銀行 貨幣博物館展示資料
小野武雄著 「江戸物価事典」多摩郷土文庫・日本風俗史学会著 「江戸の暮らし122話」地歴社
NHKデータ情報部「江戸事情 第一巻生活編」雄山閣出版
藤原千恵子著「浮世絵に見る江戸の一日」河出書房新社
藤原千恵子著「浮世絵に見る江戸の歳時記」河出書房新社・朝日ジャーナル 「大江戸曼荼羅」

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【おまけ】
《第3回》人情いろは歌留多

わ:わかってみれば 文のからくり 抜け荷の合図 いざ御用 
か:瓦版屋か お薮な医者か 頼りなさげが 憎めない
よ:横恋慕 意外に切れる 同心の なくて七癖 髷をさすりつ
た:抱きしめるには 早過ぎないかい もとはお武家の出じゃないか
れ:連竹の 木立に揺らす 乙女髪 
そ:騒動のたびに雁屋に どなりこみ