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  ●Blackout of 2003・Aug 17, 2003
●Dec 18, 2002
 
   

August 17, 2003
『Blackout of 2003』

 8月14日(木)アメリカ北東部一帯を襲った大停電。オットと1歳半の子供と一緒に見事にくらってしまいました。というわけで、ず〜っとサボっていたニューヨーク日記です。デジカメの充電をしていなかったので、写真はなし。文章も粗いし、長ったらしいですが、とりあえず旬のうちにということでどうかご容赦を。m (__)m

 午後4時10分すぎ。私は子供と「おかあさんといっしょ!」のビデオを観ていたんですが、突然、ブチって音がして、テレビも冷房も電気もコンピュータもなにもかも消えちゃいました。でもまだ窓の外は明るかったし、いまのアパートに越して来てから一年半の間に、すでに二度、停電があったせいで、最初は「ん〜またかぁ……」てな感じでした。

 最初の停電は、昨年、引っ越してすぐの春。クーラーを設置したばかりの私たちの部屋だけ容量オーバーで停電。深夜だったのでビルの都合上、地下の元電源にアクセスできず、朝まで待ちました。でもバスルームとキッチンの電源は落ちていなかったので、不自由はなかったのでした。二度目は昨年7月頃だったかな。猛烈に暑い日の午後、いきなり停電。また、うちだけだわ、と思って管理人のところへ行こうとしたら、アパートの廊下の電気も切れている。部屋のなかが暑くて耐えられないので、子供を連れて外へ出たら、信号もついていない。結局、イーストビレッジにある送電所の支局みたいなところで事故があって、ウエストビレッジも含め、ダウンタウン一帯が4時間ぐらい停電したのでした。

 だから今回はまず、廊下の電気をチェック。うむ、点いていない。それから窓へ行って車の流れをチェック(交差点の角のアパートなんです)。う〜む、車の流れからして、信号も点いていない。それでも昨年のことがあったので、別に驚かなかったんですよね。懐中電灯と、昨年の停電の後にわざわざ買っておいた、電源なしでも使える旧式の電話機を出してきて、う〜ん、ろうそくあったっけかな? と考えていたら「お〜い、でえじょぶかい?」と江戸っ子のオットが帰宅。彼はイーストビレッジに行っていたのですが、そのビルの電源も落ちたのでさっさか帰ってきたとのこと。前回も彼はイーストビレッジにいたんですが、そのビルは電源が落ちなかったので、なかなか帰ってこなくて、電話もかけられず、私は子供抱えて奴の居場所まで行って、そういえば、ひとしきり文句をたれた記憶が……。(^_^;)

 まずはラジオだ!という話になって、ABCにダイヤルを合わせたら、のあんと、アメリカ東部一帯が停電しているらしい、と言うではないすか。ラジオはとにかく、ナイアガラの送電所でのなんらかの事故があり、テロの可能性はほとんどゼロだということを繰り返していました。オットとふたり、まず笑いましたね。テロでさえなければ、あとは復旧までサバイバルするしかないですもんね。その頃はまだ部屋のなかにクーラーでキンキンの冷気が残っていたので、笑えたのかもしれません。

 ラジオでは数時間後、日の落ちる前(サマータイムなので午後8時頃)には復旧するだろうという噂だけど、もしも夜になったら、今日はキャンドルを点してロマンチックな夜を楽しみましょ!ってお気楽なこと言っています。前回は明るいうちに復旧したけれど、夜を越すにはもう少し、準備しなくちゃね。というわけで午後5時半。オットはろうそく等の買い出しに。もしもの場合を考えて、明るいうちに夕食を済ませようということで、炊飯器も使えないし、私は冷やしたぬきうどん作りを開始。ガスも水道も出るんですけど、パイロットランプが電気なので、ライターを近づけないと着火しなくて、結構、不便。心のなかで今度は「チャッカマン」を買っておこうと決心しましたね。

 鍋にお湯をわかしながら(暑いのよね)、まだまだのんきにぼーっと外を見ていたら、すごい人の量に気づきました。六番街の大通りをぞろぞろ、ぞろぞろ人が歩いています。あ、そっか、地下鉄も止まっているのねノ。地下鉄やエレベータに閉じ込められちゃった人たちが気の毒だな〜。歩いて帰れない人はどうするんだろう? ホテルは非常電源あるのかしら? 空港はさすがに電源のバックアップぐらいあるわよね……。とまあ、じわじわ事のでかさに気づき始めました。家にいて幸いだったのだと。

 買い出しから帰ってきたオットいわく、スーパーや大手のドラッグストアなどは、さっさか店を閉めてしまっている。中国系の人が経営する小さなドラッグストアは長蛇の列なのであきらめて、韓国系のデリに行ったら、たまたまろうそくが売っていたので、もしものためにガラスコップ型のをふたつゲットしてきた。あとになってから、ホント買っておいてよかったね〜ってことになるのですが。あと、なぜかピザ屋が長蛇の列。帰宅途中に、「も〜今日はピザでいいや〜!」って人が多かったのかしらん? レストランもいくつか営業していました。ガスがあれば基本的に調理はできますものね。

 災害時の唯一の情報源がラジオだというのは、ほんと、身をもって体験しました。テレビもネットもないから、当事者は目の前にある光景以外のことは本当にわからないのです。オットの仕事絡みで日本から電話がかかってきたのですが、停電のことは日本でもばんばん報道されていたそうですね。うちはいまどきめずらしく携帯を持っていない家庭なのですが、携帯電話は皆が使っているせいで、相当つながりにくくなっていました。ああ、旧式電話、本当に買っておいてよかった……。

 午後6時半。ラジオを聞きながら、うどんを食べ終わる頃には、最後の冷気が暖気に変わって室内がむわ〜! 窓を開けてもむわ〜っ! 子供も寝てしまったので、我らもベッドでうとうと。ラジオは繰り返し、あと1〜2時間で復旧しそうだって言っています。ところが7時半をすぎても点かないし、だんだん薄暗くなってくるし……。というわけで、しまったお風呂に入らねば!ということで、オットと子供が先に入ったら、お湯がもう出なくなりつつあって、私が入ったときは水風呂でした。な〜んだ、ボイラーも電気使っているのか……とお湯が出なくなって初めて知る私。でも暑かったから、水風呂は気持ちよかった。子供はきゃ〜きゃ〜喜んでいたし。

 午後8時半、いつのまにか部屋の中も外も真っ暗。懐中電灯ひとつとろうそくがふたつ。室内の移動には各自、ろうそくを持って。でも、することがないでしょう? ろうそくの灯りひとつで台所の洗い物とか、せっせとやっちゃうんですよね。水が冷たくて気持ちよかったし(笑)。ラジオも同じことばかり言っているから、だんだん飽きてきて、カンサスシティでやっているヤンキースの試合中継を聞きたいなと思って探したけれど、ラジオはどこも停電特集になっていて、げんなり。情報は必要ですが、くそ熱い中、じ〜っと復旧を待っている間、野球中継でも聞けたらどれだけ気が紛れることかと、結構、カナシかった。いま思えば、中継の電波が受け取れなかったのかもしれないですね。あまりに退屈なので、あ、そうだ、と思いだして実家に電話。もうひとつの私専用の電話の方にかけていたそうな。それほど心配していたわけではなかったそうで、よかったよかった。

 外は車のヘッドライト以外はほとんど真っ暗なんですが、12時頃までは、結構、人が歩いていました。懐中電灯を持って数人のグループで、すれちがいざまに、お互い「イエ〜イ!」とか雄叫びをあげていて、楽しそう。ラジオによればアッパーウエストサイドのバーなどは通りのテーブル席で営業をしていて、みんなキャンドルを持って歩いていたり、ビールを飲んだりしていて(そろそろ生ぬるいだろうに)、マルディグラ(ニューオリンズのお祭り)みたいだって。そうですよね〜。うちも子供がいなかったら、絶対、へらへら外に飲みに出かけていたんじゃないかと思う。とにかくやることがないんですもん。

 暑いからあんまり動きたくないんですが、子供は容赦がない。いつものようにうにゃうにゃ体の上に載ってきたり、追いかけっこをせがまれたり、こっちもすることがないので、全面対応体勢でしたが、へとへとになりました。うちの子供はテレビっ子なので、思いだしたようにテレビの前に行っては、電源をカチャカチャ押していて、かなり笑えました。なにかの魔法で点いたらいいのに〜と心底思いました。

 真っ暗のなか、暑くて眠れず、まんじりとしながら、9/11のことを考えました。私は日本に帰国中で、戻ったのは10月に入ってからだったので、不自由はほとんどなかったのですが。あのときにくらべたら、このくらいの停電は、へっとも思わない人が多かったのではないかなぁ、と。日本にいた私でも、いまでもワールドトレードセンターがあったはずのぽっかり開いた空を見てしまうし、マンハッタンの上空を飛行機が通過するのを見るたびに、高度を確かめてしまう。街は平穏で多くの人がへらへらしていましたが、今回の停電で9/11のことが心によぎらなかった人はニューヨークにはまずいないんじゃないかと。

 ラジオでは、今回の事故は、そもそもブッシュの親父さんの政権やレーガン政権が悪いんだ!って話もでていました。あれだけエネルギーオタクみたいな政策をやって儲けているくせに、お金のかかる送電網の整備の方は後回しにしていたということで。ABC放送は意見のある放送局ですが、どちらかといえば保守的なので、いやいやそれはちがう。クリントン政権がいけないのよ、と、もちろん反論もありました。

 午前1時をまわった頃、ようやく風が涼しくなってきて、眠りに落ちました。その時点で、朝までには復旧するだろうという話だったので、起きたら日常が戻ってくるのね〜と思っていたんですけどね。朝9時過ぎに目覚めたら、事態はな〜んも変わっていなくて、ラジオは今度は今日の午後には復旧すると言っています。もはや信用できませんよね〜。

 夜の治安はよかったみたいですね。翌朝のラジオでは強盗が3件のみ……いつもと同じじゃん(笑)。あんまり真っ暗で強盗もなにを盗んだのかわからなかったんじゃ〜ないか、というくだらない冗談つきでした。77年の大停電のときは、強盗、それに放火が多くて大変だったそうです。いまに比べれば信じられないほど日頃の治安が悪かったし、放火が多かったのは、当時、放火して保険金を受け取るという犯罪が流行っていたからだそうな。

 朝食を食べてから、コンピュータがないので仕事もできないしってことで、子連れで散歩にでかけました。近所のワシントンスクエアに行ったのですが、いるいる、わんさか人がいます。ピクニックマットを敷いてごろごろ寝転がっている。テイクアウト系のデリやピザ屋は営業しているので、食べ物に困ることはないし。公園内の子供の遊び場は、平日とは思えない混雑ぶりでした。日頃はベビーシッターに連れられている子も、今日は両親が揃ってます。ベンチの空きを探すのが大変だなんて、初めてだったかも。1時間弱、だらだらしていたけれど、日差しが強くなってきたので、部屋の中の方が涼しかろうということで、韓国系のデリで、かすかにまだ冷えている牛乳を一本買って帰宅。まだ飲めそう。

 で、子供を抱えてアパートの階段を上っていたらね……点いたんですよ〜!思わず拍手して、きゃ〜きゃ〜歓声を上げてしまいました。午後2時15分頃でした。

 22時間の停電はやっぱり長かった〜。幸い治安も悪くなかったけど、なによりも暑かったのがつらかった。あとは冷蔵庫。一晩だったのでどうにかぬるい程度で済みましたけど、もう一日続いたら、もろもろ事態はずっと深刻になったような気がします。粉ミルクの買い置きが残っていたからよかったけれど、子供の牛乳が気がかりでした。ニューヨーク中の牛乳が腐ったらと考えると……こわいでしょう? 

 電気が復旧してもケーブルテレビも1時間ぐらい、プロバイダは3時間くらい復旧しませんでしたが、子供はビデオ鑑賞、オットと私は、思わず仕事に熱中しました。おいおい、仕事、好きだったのか? というわけではなく、実はふたりとも修羅場だったので、とにかくやらねば精神が安定しないってことだったのでした。夕食はチャイニーズのテイクアウト。さすが、チャイニーズ、さっさか営業を再開していて頼もしい限りです。そして夜、私は翌日が返却日のレンタルビデオ、日本のドラマ「ファーストラブ」全6巻を朝までかけて一気に見て、めちゃくちゃ疲れてしまったのでした。渡部くんと深キョンの出ているやつね。だって〜本当は木曜日に見るつもりだったんだも〜ん!見ないで返却するの悔しかったんだも〜ん!(←つくづくおばか!) というわけで、長々書いたわりには、我が家はたいしたことなかったです。今回の停電で苦労をされた方には、心よりお見舞い申し上げます。