某月某日某所。会社帰りの私はふらふらと夜の散歩を楽しんでいた。お腹も空いたことだし、何か食べよう。ふと以前、友達と行ったお店を思い出し、足を延ばしてみることにした。
お店の前に来て、ガラス越しに男性の人影が。何となく「小澤氏に似ているかな?」とは思ったものの、そのまま店内へ。ドアを開けた次の瞬間、私の頭の中に浮かんできた言葉はただひとつ。「小澤氏ご本人だ!!」。嬉しかったのと同時に、不安と焦りが怒涛のごとく押し寄せてくる。「…どうしよう?」。店員さんからの問いかけにもとんちんかんな答えしか出来ず、やっとのことで席に座った。
店内にいるお客は、小澤氏、女性、私の3人。それぞれ1人で座っている。小澤氏は1人で机2つ分を使い、座っているソファーに鞄などを置いている。机の上には台本や、筆記用具、手帳などが置いてある。そして、左手には煙草、そのすぐ下には灰皿。右手でペンを持って台本に書き込みをしていた。
店員さんが私のオーダーを取りに来た時も、注文を置いて行ってくれた時も、私としては最大限平静を装っていたつもりだが、他の人から見たら、明らかに挙動不審な要注意人物だっただろう。とにかく、落ち着かなかった。興奮状態で頼んだ紅茶に口をつけるのがやっと。ましてや頼んだケーキなんて喉を通らないから手をつけられない。
そうこうしているうちに、お客の女性が席を立った。店内のお客さんは小澤氏と私だけ。しかも、小澤氏も台本の勉強を終え、帰り支度をしている様子。「これは願ってもないチャンス!!行かなきゃ!!」。そして、私は自分の席を立ち、小澤氏へと向かっていき、話しかけた。が、どうしよう、どうしよう、どうしよう!! 頭の中が真っ白!! ご本人に会えて嬉しいんだけど、何も考えられないし、次の言葉が出て来ない。その間、小澤氏はまるで小さな子どもを見るように、包み込むような笑顔と優しい眼差しで私をじっと見つめていて下さる。ますます嬉しい気持ちと焦る気持ちでどうしようもなくなる。でも、ここまでに来たからには、話すきっかけをと思い、手帳を差し出し、サインをしていただいた。サインをして下さる、その文字を見ていたら、少しだけ落ち着いてきた。サインを書き終えた小澤氏は、手帳を返して下さり、その後、少しお話をした。私が小澤氏のファンであること、小澤氏はいま撮影に入られていること、そしてこのウエブサイトのこと…。すると、私にとっては意外な言葉を耳にした。
「ごめんなさい、パソコンやらないんですよ…」
と、ここで、小澤氏の携帯が鳴り、私にひとこと断ってから電話に出られた。どうも、仕事の連絡だったようだ。
しばらくの間、小澤氏の側に立っていたが、話が長くなりそうだったので、自分の席の戻って注文したケーキに手をつけたが、全然味が分からない。下手をすると喉に詰まらせそうだった。
電話を終えた小澤氏が席を立ったので、再び私は側まで行き、お話をさせていただいた。しかし、先の電話で呼び出されていた様子だったので、あまりお引き止めすることはできなかった。そして、最後に一言。
「これからもよろしくお願いしますね」
そう私に言い残し、お店を後にされた。
小澤氏の印象は、まじめで、包み込んでくれるような優しい雰囲気を持っていて、真っ直ぐ目を見て話せる方。せっかくのプライベートの時間を私が削ってしまったにも関わらず、嫌な顔ひとつせず、気さくで、正直に話して下さる方。本当に気持ちの良い方だった。私がお店に入った時、左手に煙草を持ちながら、一生懸命台本を読んで、書き込みをされていた姿が印象的だった。時々考えながら、右手で頭をかくような仕草をしていて、「さくら」の桂木先生がしていた仕草そのままだな、なんてことも考えた。
小澤氏がお好きだとおっしゃる江國香織さんの『泣く大人』にこんな一節があった。
神様の存在を信じたくなる瞬間、というのがある。それはたとえば、思いがけない場所で、思いがけないときに、思いがけないひとと偶然あった瞬間。
ほとんど「輝かしい」と言ってもいいような、華やかな歓喜の気持ちに包まれる。*
私にとって、小澤氏との遭遇は、まさに「神様の存在を信じたくなる瞬間」であり、また「輝かしい」瞬間であった。小澤氏と直接お会いし、お話できた時間を私は一生忘れない。
*『泣く大人』P.157より
著者:江國香織 発行:世界文化社 発行日:2001年7月30日 |